世界の旅 中東 カタール ドーハ

[旅の日記]

ドーハ Doha 

 ちょっとだけドーハに寄る時間がありました。
カタールからのレポートです。

 朝に着いたドーハですが、徐々に陽が明けてきました。
海も空も真っ青のドーハに、赤い光が差してきます。
そこへ着いてすぐですが、早速手痛いアラビア語の洗礼を受けます。
文字の切れ目さえわからず、何を書いているのかがさっぱりわからないのです。
これからしばらくは、この盲目に近い状態で生活していくことになります。

 中東の砂漠の国のイメージが強いカタールですが、首都ドーハに限っては高層ビルが立ち並びます。
1825年に興された町は、1825年のバーレーンとの戦争で大きな損害を受けます。
その翌年、オスマン帝国はサーニー・ビン・ムハンマドをシェイクに任命し、後のカタールの首長になります。
1882年には砦が建設され、翌年のオスマン帝国との武力衝突に勝利します。
そして1917年には、市の中心部に要塞が築かれます。
その後、石油の輸出国となり、1971年にはイギリスより念願の独立を勝ち取り、カタールの首都となります。
衛星テレビ局である意味有名なアルジャジーラも、ドーハの放送局です。

 ドーハと言えば「ドーハの悲劇」も記憶に新しいことでしょう。
1993年にカタールのドーハのアルアリ・スタジアムで行われた日本代表とイラク代表とのサッカーの国際試合のことです。
それまでリードしていた日本でしたが、試合終了間際のロスタイムにイラクの同点ゴールが入り、日本のFIFAワールドカップ初出場が夢となった試合です。

 さすが砂漠の国だけあって、かわいいラクダ人形が、土産物として売られています。
時間があれば砂漠に足を踏み入れてみたかったのですが、それは次の機会にお預けのようです。

 もうひとつ、おもしろいものがあります。
空からしか見えない、貴重な画像です。
ツルの先に葉が並んでいるようなものは、人口の島です。
幾何学的な模様に埋め立てられた陸地に、ホテルが建設中のリゾートの人工島「ザ・パール・カタール」です。
これができあがったころには、再びゆっくりと訪れてみたいものです。

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