世界の旅 欧州 スペイン マドリッド

[旅の日記]

マドリッド Madrid 

 マドリッドに到着です。
今日から2日間、このスペインの首都マドリッドでの街巡りです。

 バラハス空港に降り立ち、まずは2日間の乗り放題券を購入します。
これは地下鉄(メトロ)、バスが自由に乗れ、慣れない硬貨をその都度探して切符を購入する必要がないので、重宝します。
ここから市街地までは、地下鉄を乗り継いて移動します。

 さて地下鉄を乗り継いで着いたのは、「プリンシペ・ピオ」駅です。
近代的な駅舎になっていましたが、その裏手の旧駅舎に惹かれました。
両側に塔を備えた造りです。
今は他の用途で使われているのでしょう、門を開けて中から人が出てきました。

 切符の他に、もうひとつ欲しいものがあります。
スペインに来てからデータ通信の手段がないので、携帯のSIMカードを探して歩きます。
駅の周りをうろうろしていたのですが、結局のところ見つけたのは駅に続く商店街で、数件の携帯ショップが並んで店を出していました。
日本の場合と同じく、順番待ちで混み合っています。
日本で事前に調べてきた情報では、YoigoのSIMがつながりやすくて安いということでしたが、空いていたのはOrangeの店。
Yoigoよりはちょっと高かったのですが、早く街に飛び出したかったので、思わず買ってしまいました。
設定やらなんやらを店員にプリントアウトしてもらい、日本から持ち込んだSIMフリーのスマホに入れて準備完了です。
このSIMカード、あとで判ったのですが、通信速度はそれほど速くない代物でした。
そして渡された袋がいやにかさばるなと思って覗いてみると、そこにはガラケーが1台入っていました。
まあ、あっても邪魔にはならず、いつか役に立つ日がくるのでしょう。

 少し歩くと、「王宮」があります。
もともとここには、コルドバ太守モハンマド1世の建てたマイリットと呼ばれる要塞がありました。
それが1036年のトレド王国独立後は、ムーア人によって継承されます。
1085年にカスティーリャ王アルフォンソ6世がマドリードを陥落してからは、1329年にはカスティーリャ王アルフォンソ11世がコルテス(身分制議会)をマドリッドに招集し、1561年にはフェリペ2世が宮廷をマドリッドに移します。
1734年のクリスマスに焼失したハプスブルグ家の宮殿跡には、2700室を備える新たな宮殿が建設され、カルロス3世が1764年にここに入ることになります。
そして、現在でも国の行事に使用されているのです。

 「王宮」を越えて、「スペイン広場」に出ます。
セリバンテスを記念して1930年に造られた広場で、池の向こうにはセルバンテスのモニュメントがあります。
ちょうど、手前にあるドン・キホーテとセンチェ・ハンサ銅像を見下ろしているようです。
モニュメントの後ろにはスペインビル、そして左手には完成当時はヨーロッパ一の高さを誇っていたマドリッド・タワーです。

 さて小腹がすいてきたので、お茶でもしましょう。
日本でいう喫茶店が、こちらでは「バール」です。
朝は朝食、昼は喫茶、夜は食事と酒と、七変化する便利な場所です。
そうそう、トイレに行きたくなっても立ち寄る場所なのです。
「チュロス」とちょっと太目の「ポラス」を頼みます。
スペイン人らしく「ホットチョコレート」につけて食べてみたのですが、これが甘くて甘くて。
チュロスにどうぞと、粉砂糖まで勧められる様です。
でも、ドーナツのようなチュロスは、結構おいしいものです。

 ここから再び地下鉄に乗り、「バンコ・デ・エスパーニャ」駅まで移動です。
駅を降りると、交差点の向こう側に美しい形をした宮殿を目にすることができます。
ここが「シーベレス宮殿」です。
18世紀にカルロス3世が造らせた噴水の先に、その華麗な姿をした宮殿はあります。
いまは市役所として使われており、古き建物を大切に使うヨーロッパの習慣が、ここにもありました。

 「シーベレス宮殿」から東に進んだところに、「アルカラ門」があります。
ロータリーの真ん中にそびえる門で、「トレド門」、「サン・ビセンテ門」、「イエロ門」とともにマドリッドへの入り口です。
カルロス3世は以前の煉瓦造りの門を取り壊し、代わりに建築家フランシスコ・サバティーニに命じて、新たな門を造ります。
アルカラ・デ・エナーレスに通じる街道があったことから、「アルカラ門」という名付けられたということです。

 「アルカラ門」のある場所は「レティーロ公園」への入り口でもあり、時間があるのでその公園に寄ってみます。
140haの緑豊かな公園は、フェリペ2世の時代に造られた祈りの場所で、フェリペ4世は宮殿と庭園を整備します。
馬に乗った衛兵が行き交い、池にはボートが浮かんで、ゆったりとした時間が過ぎて行きます。
そして、池の奥には当時の舞踏場であったカソン・デル・ブエン・レティーロの建物がいまでも残っています。

 さて、さらに東の「レディーゼ」駅で地下鉄に乗ります。
周りには鮮やかで立派な建物ばかりで、日本では見ることのできない珍しい風景です。

 地下鉄は3駅離れた、マドリッド1番の繁華街である「ソル」駅に着きます。
赤い色をしたマドリッド自治政府庁の前には、カルロス3世の銅像が飾られています。
そして近くには「クマとヤマモモの像」もあります。
この辺りは大きな商業施設が並んでおり、スペインで数少ないデパートも「ソル」にはあります。

 「ソル」駅から東へ進み、通称ハムの博物館と言われる「ムセオ・デル・ハモン」に向かいます。
店に入ると、天井から数多くのハムがぶら下がっています。
1階はバルで、既に多くの人がハムをかじりながら酒を交わしています。
19時というのに、その熱気はすさましいものです(スペインの夕食は通常20時から)。
2階はレストランになっており、ここでイベリコ豚の生ハムを地元のビール片手にいただきます。
脂ののった生ハムは、今まで食べていた塩気の効いたハムとは別物で、大いにビールが進みます。
初日はこうして過ぎて行ったのです。

 翌日は、芸術に接する1日です。
地下鉄で「アトーチャ」駅に向かいます。
スペイン国鉄RENFEの終着駅でもあり、立派な駅舎です。
旧プラットフォームは改装されて植物園になっており、駅の中に植物園のある珍しい場所です。
ここがプラットフォームであった証拠に、アーチ形の天井が残っています。

 駅を出て、王立植物園を越えたところに「プラド美術館」はあります。
数え方にもよりますが、世界の三大美術館のひとつです。
エル・グレコやゴヤなどのスペインを代表する芸術家の作品が展示されています。
入場券は予め買っていなかったのですが、幸い窓口は空いていて並ばずに購入することができました。
館内には、ゴヤの「着衣のマハ」ならびに「裸のマハ」、ルーベンスの「三美神」、エル・グレコの「羊飼いの礼拝」、ボッシュの「快楽の園」など、有名な絵画が勢揃いしています。
特にゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」は、その奇抜な絵柄に衝撃を受けます。
そして途中でくたびれると、1階のカフェで一休みです。
半日かけても観きれない量の作品が並んでいます。

 陽も落ちてきたので、予約していたレストランに向かいます。
地下鉄のオペラ駅を降り、まずは目印の「マヨール広場」に向かいます。
ここはフェリペ3世が1619年に造ったところで、広場の周り四方が建物で囲まれています。
椅子を並べて、あちらこちらで陽気なレストランが開店しています。
しかし夜ともなれば、賑やかな広場でも緊張が走ります。

 「マヨール広場」から歩くこと数分、本日の夕食は1725年創業で世界最古のレストランとしてギネスにも載る「ボティン」という店です。
ここでは、「コチニーリョ・アサード」と呼ばれる子豚の丸焼きが楽しめます。
生後2~3週間の肉の柔らかい子豚だけを使った、贅沢な料理です。
どうやら、うまく予約が通じていたようで、準備された席に誘導されます。
席に着くなり、「皿に盛る前の丸焼きの姿を見たい」と注文します。
食前酒を飲んでいると、焼きたての子豚の姿を席まで運んで見せてくれました。
前菜のニンニクのスープは、味もさることながらパンが入ってとろっとした食感がたまりません。
赤ワインにオレンジなどの果実とはちみつを入れて造った酒「サングリア」は、すごく飲みやすく、ついつい飲みすぎてしまいます。
柔らかくジューシーな子豚はそれなりの量があり、すっかり満足したスペインの料理でした。

   

旅の写真館(1) (2)