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[旅の日記]

コロニア・グレル  Colònia Güell  

 バルセロナから電車で20分、コロニア・グレルの街を訪れます。
コロニア・グレルへは、バルセロナの「スペイン広場」から「カタルーニャ鉄道」で向かいます。
「スペイン広場」の前には、「ラス・アレナス闘牛場」があります。
と言っても1977年6月を最後に闘牛は中止され、いまでは立派なショッピングセンターになっています。
しかし円形の建物の外観など、昔の姿を偲ぶことができます。

 そしてロータリーの「ラス・アレナス闘牛場」の反対側にあたる「エスパーニョ駅」の先には、ムンジュイックの丘の上にある「国立宮殿」が見えます。
ここは「カタルーニャ美術館」で、その壮大な建物が美術品の多さを物語っています。

 さて、それでは「エスパーニョ駅」から「カタルーニャ鉄道」に乗り込み、「コロニア・グレル」に向かいます。
「コロニア・グレル」は、世界遺産となった「コロニア・グレル教会」の存在で、一躍有名になりました。
といっても田舎の駅。降りる人もまばらです。
無人駅なので往復切符を買ってきたくらいですから。

 駅を出ると、歩道には青い足形が残されています。
点々と続く足跡を辿っていけば、「コロニア・グレル教会」に着く段取りになっています。
それでは指示された通りに、足跡に付いて行くことにします。
道路工事をしたのか途中足跡が薄くなっていたり、歩道と車道のブロックの瀬をなんとか進む場面もありますが、10分くらいで真新しいインフォメーションに着きました。
インフォメーションでは各国の言葉で挨拶が書かれており、教会の入場券を購入できます。
教会はここから、50mほど離れたところにあります。
教えられたとおりに進んでいくと、教会に辿り着きました。

 「コロニア・グレル教会」は、グエルが建設した繊維産業の労働者コロニーに位置する教会です。
逆さ吊り模型の実験は有名ですが、ガウディーはこれだけでも10年を費やしています。
ところがその6年後、ガウディーはサグラダ・ファミリア聖堂の建設に専念するため、「コロニア・グレル教会」の建設を中断してしまいます。
唯一完成していた半地下が、礼拝堂に転用されています。

 教会の天井には放射状に梁が張り巡らされており、これはヤシの木をデザインしたものです。
柱も垂直に立っているのではなく、こちらも自然のヤシの木が生えているように、なんとなく傾いています。
ステンドグラスから洩れる光が、梁の凹凸を浮かびだしてくれます。

 「コロニア・グレル」の魅力は、教会の他にもあります。
煉瓦で作られた素朴な建物が、静かなこの街に似合っているのです。
もともと「コロニア・グレル」は、バルセロナで勃発していた社会闘争から隔離するために、郊外に繊維工場を従業員の住居ごと造った町です。
労働者の生活環境の向上と文化保護の両面で、先進的な町づくりを目指しました。
そのなかで教会建設を請け負ったのが、いま見てきた「コロニア・グレル教会」のガウディーだったのです。

 町の入り口に位置する場所にあるのが、「オルダル邸」です。
1894年ごろ建てられたもので、小型の教会のような立派な造りをしています。

 町の中心の「ジョアン広場」では、学校帰りの子供がこちらを見ながら、恥ずかしそうにしています。
兄弟なのかお姉ちゃんは顔を横に向けて、こちらから見えないように顔を隠しながら歩きます。
興味深々の弟の方は、見知らぬ外国人に知っている限りの言葉で「ボンジュール」とかけてきます。

 「エスピナル邸」は、インフォメーションで渡されたこの町の日本語パンフレットにも登場する建物です。
煉瓦を巧みに積み上げ、芸術的な建物に仕上がっています。
どの家を見ていても、心がゆったりと休まります。

 やがて、駅に向かって帰り出します。
駅の向こうには、城のような形をした「サルバナ塔」が見えます。
12世紀から19世紀の間に建てられたものですが、詳細は判っていないようです。

 「カタルーニャ鉄道」でバルセロナに戻ってきて、楽しみの夕食です。
今晩の1品目は、スペインのオムレツである「トリテーリャ・エスパニューラ」です。
じゃがいもとほうれん草が入ってフワフワのオムレツです。
これにクロケッタ(コロッケ)とパエジャ(パエリア)です。
またしても、食べ過ぎたようです。

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