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[旅の日記]

バルセロナ Barcelona  

 今回はスペイン バルセロナの旅を3日間に渡ってお伝えしよう。
スペイン国鉄が誇る新幹線AVEでバルセロナに入ったのは、正午前。
AVEはフランスのTGVから導入したもので、ドイツのICE、日本の新幹線と並ぶ高速鉄道です。
揺れもほどんどなく、快適なうちにバルセロナ・サント駅に到着しました。

 サント駅では、例によって2日間乗り放題券を購入します。
地下鉄(メトロ)、バス、国鉄(RENFE)、カタルーニャ鉄道、トラム、フニクラなど、オールマイティのカードです。
最後の1日は個別に買えばいいかなということで、本日と明日をフルに動き回る予定です。

 サント駅からホテルのあるクロット駅まで地下鉄(メトロ)で移動し、まずは荷物を置いてきます。
身軽になったところで、再び地下鉄で移動すること20分、ジャウマ・プリメ駅で降りてその辺のバルで食事を取ります。
通りには古くても趣のある建物ばかりで、町全体が博物館のようです。
駅の西側には、市庁舎から続く石の壁が大きく広がっています。

 本日どうしても訪れたいところに「カタルーニャ音楽堂」があります。
時間帯よるガイドに従って入場しなければならないので、まず先に寄ってチケットを予約します。
運よく15:00のチケットを買うことができました。
それまでの間、しばらくは近くの「カテドラル」を見学することにします。

 「カテドラル」は、バルセロナ伯ジャウマ2世の時代の1298年から1448年にかけて、約150年の歳月をかけて建築されました。
高層の石造りの建物が並ぶゴシック地区でも、ひときわ高い建物です。
ゴシック様式の「カテドラル」の地下には、バルセロナの守護聖女サンタ・エウラリアが眠っています。

 「カテドラル」に向かって左側の通路を抜けて行きます。
フレデリク・マレー美術館の奥に、三方を建物の壁で囲まれた石畳の広場があります。
ひっそりとしており、気を付けていなければ通り過ぎてしまいそうです。
正面に王宮を臨むここは、「王の広場」という神聖な場所です。
新大陸を発見したコロンブスが、航海から帰りイサベル女王に謁見するために上った階段で、いまでも残っています。
訪れた時には学校の遠足でしょうか、子供たちの休憩所(日本なら弁当を広げるのですが、あちらはどんなのか)になっていました。

 「市歴史博物館」は、建物の年季が示すようにローマ時代からのバルセロナの歴史を紹介しています。
地下から発掘されたローマ時代の町の跡や公衆浴場など、貴重な資料が保管されています。

 南北に走る「ライエタナ通り」を歩きながら、建物の美しさに感動しながら「カタルーニャ音楽堂」に戻ります。
音楽堂のガイドツアーは50分のコースで、参加したのは英語ツアーです。
英語が理解できるからではなく、ただ単に日本語ツアーがなかったからです。
音楽堂の歴史を語る映画を見た後、実際に音楽堂に入って行きます。
まずは1階席から舞台を観ます。
ガウディーと同じ時代に生きた建築家ドメネク・イ・モンタネールの1908年の最高傑作で、至ることろに花の模様の彫刻が施されています。
続いて2階席から、舞台を見下ろします。
ここで舞台中央のパイプオルガンが奏でると、音楽堂いっぱいに音が響き渡り、一種の感動を覚えます。
内部だけでも満足するのですが、外から見たモデルニスモ様式の建物も圧巻です。
実際にいまも使われており、国内外の演奏家によるクラシックコンサートが開かれています。

 「カタルーニャ広場」では鳩が舞い、ゆったりとくつろぐ人もいっぱいです。
ただしここでも、スリには十分ご注意を。

 さて今晩の夕食は、日本を離れたのだからステーキと行きましょう。
ただしステーキハウスは、スペインと言ってもそれなりの値が張りますので、近くのバルで済ませます。
そしてせっかくこちらに来たのだから、こちらのビールで乾杯を。
ポテトとパンでお腹を満たしたのでした。

 翌日は、ガウディを巡る旅です。
朝一番に訪れたのは、いまも建築中の「サグラダ・ファミリア」です。
サン・ホセ帰依者教会として1882年に着工し、翌年にはピリャールからガウディに受け継がれたものです。
2010年にはローマ法王ベネディクト16世が訪れて、正式にカトリック教会と認められました。
完成は、ガウディの没後100年にあたる2026年を予定されています。
それでは中に入ってみましょう。
正面入り口の頭の上には、キリスト誕生の石の彫刻が飾られています。
向かって左は父聖ヨセフの門、そして右は母マリアの門です。
一方裏口にはキリストの磔刑を中心に、最後の晩餐やペテロの否認している様子が彫られています。
教会の中に入ると、複雑に絡んだ柱が天高くそびえ、その間から陽の光が差してきます。
今回はエレベータ付のチケットを買っていましたので、塔の先までエレベータで上がることができます。
塔の上では、塔の間を渡ったり、下界を眺めることができます。
そして長い螺旋階段を足で降ります。
高いが故に、螺旋階段の手すりが円になって地上まで続いている様は、穴が開いて吸い込まれて行くように感じられます。

 「サグラダ・ファミリア」の次は、地下鉄で「ティアコナル」駅まで出ます。
ここからは、ガウディが手掛けた建物の数々を眺めて回ります。
まず有名なのが、「カサ・ミラ」です。
丸みのある岩を積み上げたような独特な造りのアパートです。
実業家のペレ・ミラが、ガウディに依頼して造ったものです。
あいにく訪れた時には、外装の修復中。
建物の画を描いたテントで覆われています。
ただ入り口部分で見上げると、「カサ・ミラ」の独特の曲線美の柱を少しだけも目にすることができます。

 グラシア通りを南に歩いて行くと、「カサ・パトリョ」があります。
パトリョ家の依頼を受けたガウディが、海をイメージして造った建物です。
波打つ壁が海面で、そこから出っ張った岩や洞窟があります。
外壁に施された色とりどりのガラスモザイクは、光の反射を受けて輝いて見えます。

 そしてその隣が「カサ・アマトリエール」という、こちらはブッチ・イ・カダファルクの作品です。
切妻屋根とレリーフの施された壁が、繊細で綺麗な建物のを顔をしています。

 同じ通りの角の建物は「カサ・リュオ・モレラ」で、モンタネールがバルセロナ市の芸術建築コンテストで表彰された作品です。
店舗兼集合住宅で、釣鐘状の塔が印象的です。
このようにガウディ以外の建築家も参加して、競って建てられた芸術的な町がバルセロナなのです。

 さてここからは、バスに乗り込みます。
次のガウディの作品である「グエル公園」には、バスの方が近くまで運んで行ってくれるからです。
14時に事前予約を入れているので、公園周辺の無料ゾーンを回り食事を取ると、ちょうど良い時間になります。
実業家グエルは、バルセロナの市街を見渡せる丘に60戸の住宅を造成しました。
ところが資金難で工事は中断され、それが後に公園となって生まれ変わったのです。
住民の市場として造られたドーリアス式列柱廊は、その上階にギリシャ劇場と呼ばれる広場を持ちます。
そして広場の柵代わりに設けられたのが、タイルを敷き詰めた有名なベンチです。
その他、自然の力を分散させるために斜めに柱が立っている廻廊や、一番人気の「トカゲの噴水」の周りにもシャッターを切る人でいっぱいです。

   しっかり歩いて、夜は美味しいものを食べて、あっという間に2日目も終わってしまいました。
バルセロナも残り1日。
明日に備えてぐっすり寝ることにします。

 3日目は朝の時間を利用して、「サン・パウ病院」まで歩いて回ります。
この病院は、銀行家パウ・ジルが遺産を投じ、ドメネク・イ・モンタネールに頼んで造ったものです。
ドメネクは親子2代で、48棟の建物を1930年に完成させます。
「芸術には人を癒す力がある」とのドメネクの言葉通り、病院の暗いイメージとは裏腹に芸術の集まった場所となっています。

   町全体が芸術のバルセロナを一通り見終え、感激の一言です。
そして自分用のお土産は、ガウディデザインのコーヒーカップを選んだのでした。

 

   
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