[旅の日記]
タンペレ Tampere 
本日は、ヘルシンキからタンペルに列車で向かいます。
昨晩急きょ決めたことで、列車の切符が取れていません。
実は昨晩フィンランド国鉄のホームページからネット予約を入れようとしたのですが、日本発行のクレジットカードが認証されません。
仕方がないので早めに駅に行き、切符を買うことにしたのです。
ヘルシンキ中央駅は、まだラッシュ前でさほど騒がしくありません。
切符はあっけなく買うことができ、余裕ができたのか隣のホームに停まっているロシアの国際列車を眺めています。
そして今回乗る列車は2階建て車両ですが、予約のできた席は車両の前後の連結部に近い地上席でも地下席でもないところです。
列車は定刻通り、ヘルシンキ中央駅を発車しました。
これから2時間弱の列車の旅です。

タンペレは「ムーミン美術館 Muumimuseo」がある町です。
夏場であればナーンタリ Naantaliに出て「ムーミンワールド Muumimaailma」に行くといった選択肢もあるのですが、この時期は既に閉館しています。
今回行く「ムーミン美術館」は本来は昨日がスケジュールの都合が良かったのですが、昨日は月曜日で休刊日だということを知り本日の訪問となったのでした。
タンペレ駅は、近代的な駅舎です。
東口から外に出ると昔の転車場のなごりなのか、あるいはそれを模して造ったのか円弧の形をした建物があります。
「ムーミン美術館」は、そこから15分ほど歩いたところにあります。
「タンペレホール Tampere-talo」の1階と地下1階が、美術館になっています。
ホールの入口の壁には、ムーミンの絵が描かれています。
ここで間違いありません。
中に入ると入場券の発券カウンターがあり、ここでトイレやロッカーの紹介があります。
入場券を買って、いよいよ入場します。
館内には日本人の方がおり、説明をしてくれます。
中での写真は著作権保護のために厳禁、その代わり入り口の一角だけは撮影が許されていると教えてくれます。
ムーミンの原画の展示もあるので、当然のことでしょう。
そういえば「ムーミン美術館」のホームページで日本語表示があるのは、この方がいるからかもしれません。
展示はムーミンの話の順に行われています。
「小さなトロールと大きな洪水」や「ムーミン谷の仲間たち」が、展示されています。
ムーミンの家や自然が模型で飾られ、言語を選ぶと選ぶと説明用のディスプレイ画面や音声が発せられます。
思わず見入ってしまいます。
ひとつひとつ聞いていると、時間が経つのも忘れてしまうのでした。
地下1階では実際に放映されたテレビ画像を再生することができます。
カラー画像ですが、昔見た時は確か白黒だった覚えがあります。
ノンノンのことをフローレンと呼んでいることなど、印象に残っている1969年版とは違いその後何度か放映されたものです。
ノンノンの表記は日本独自で、原作者のトーベ・ヤンソンが原作と違うことに激怒したとも伝えられています。
それ以降、日本でも世界共通のフローレンになったようです。
しばらく観ていたのですが、地元の小学生の団体が遠足で訪れたため席を譲る形になりました。
それにしても童心を擽る面白い展示だったのでした。
美術館を出て「タンペレホール」の1階には、ムーミンショップがあります。
ここも見ていて飽きないものばかりです。
土産のマグカップと自分土産で玄関に飾るムーミン一家をペンで描いた絵を買って帰ることにします。
またホールを出てその北側は、公園になっています。
駅へ行き交う人が横切っていますが、その公園にも小さなムーミン像があります。
「ムーミン美術館」を観たあとは、駅の西側に移りタンペレの街並みを見ていきます。
線路を越えたところにあるのは、「正教教会 Pyhän Aleksanteri Nevalaisen ja pyhän Nikolaoksen kirkko」です。
1899年に建設された教会で、ネオビサンチン様式の塔がそびえています。
広場の片隅に教会は建っており、広場の先は近代的な建物が建ち並ぶ都市になっています。
それではここから北上し、「タンペレ大聖堂 Tuomiokirkko」に向かいます。
「タンペレ大聖堂」は18世紀後半、スウェーデン王のグスタフ3世のもとで建設された教会です。
スウェーデン、ロシアの侵略を受け、各国の影響を受けた歴史があります。
レーニンがスターリンと最初に出会ったのがタンペレであったなど、ソビエト連邦の歴史ともつながりが深いところです。
また1918年に勃発したフィンランド内戦では、最大の戦いがタンペレで繰り広げられました。
そんな歴史をすべて見てきたのが、この「タンペレ大聖堂」なのです。
いまは犬の散歩に来る人がいるなど、平和な街に変わりました。
さてここから「タンメルコスキ川 Tammrkoski」を渡り、巨大なレンガの建物を見に行きます。
帝政ロシアの支配下に入ったタンペレは、紡績業などを中心として工業で発達しました。
工業化に伴った労働運動や、社会主義・共産主義運動の中心地にタンペレはなっていきます。
そこにある建物が「旧フィンレイソン工場 Finlayson」なのです。
1820年にスコットランド人のジェームス・フィンレイソンが興した織物工場で、最盛期には従業員の住宅や学校、病院などがひとつの町を作っていました。
1990年代に役目を終え、いまでは商業施設として再利用されています。
この建物の地下には、世界でも珍しい「スパイ博物館 Vakoilumuseo」も入っています。
駆け足で見てきたタンペレですが、やはり目玉は「ムーミン」でした。
今回は行けませんでしたが、いつかは「ムーミンワールド」にも訪れてみたいと思うところです。
ライ麦の生地でジャガイモやニンジンなどが詰めた「カレリアン・ピーラッカ Karjalanpiirakka」を買い、ヘルシンキへ帰る列車に乗り込んだのでした。
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