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[旅の日記]

スオメンリンナ Suomenlinna  

 いまフィンランドのヘルシンキに居ます。
ここから船に乗り、ヘルシンキにある世界遺産の島「スオメンリンナ Suomenlinna」へ向かいます。
今日は1日、「スオメンリンナ島 Suomenlinna」でブラブラしようと思います。

 「スオメンリンナ島」へは、ヘルシンキ交通局のフェリーが「マーケット広場 Kauppatori」から出ています。
ディチケットを買っていましたので、それを使ってこのフェリーにも乗ることができます。
早々にフェリーに乗り込み、出航を待ちます。
寒い時期ですので、室内の座席から順に埋まっていきます。
早くから待っていたので良い席を確保できましたが、遅れてきた客は甲板の座席に座らざる得ない状態です。
船は15分ほどで、「スオメンリンナ島」のメインポートへ到着します。

 「スオメンリンナ島」では、港の正面にある建物に寄ります。
観光案内所やトイレがあり、ここで地図を手に入れます。
建物の中央には塔があり、その下の廊下が島への入口になっています。
街には住宅兼店舗がポツリポツリと並んでいます。
緩やかな上り坂を進むと、左手に見える建物が「スオメンリンナ教会 Suomenlinnan kirkko」です。
島で唯一の教会です。
支配国が代わるびにカトリック、ロシア正教、ルーテル派と宗派も変化してきました。
教会は海上交通の灯台の役目もあり、いまも現役で働いています。

 教会を出たところには、石を積んで造った長い塀があります。
中央がゲートになっていますが、中に入ってもいくつかの建物が点在しているだけです。
地図で確認すると、ここは「スオメンリンナ図書館 Suomenlinnan kirjasto」だったのです。
しかしこの門構えは立派なものです。

 さらに進んでいきましょう。
交差点があり島の南側に行くにはここで右に曲がるのですが、先に建物が見えるので突き進みます。
「軍事博物館 Sotamuseon Maneesi」で、入ることを躊躇していると係員が手招きしてくれました。
どうやら費用は要らずに自由に入ることができるようです。
内部には戦車や飛行機などの軍用車両の展示、それにこの地を支配してきた歴代の軍隊の制服が飾られています。

 ここでフィンランドの歴史を、ひも解いてみましょう。
1150年代の北方十字軍による攻撃で、フィンランド南西部をスウェーデンに支配されます。
1397年にカルマル同盟が成立すると、デンマークが統治に関与してきます。
ここからがスウェーデンとデンマークとの覇権争いが繰り広げられます。
1523年にスウェーデンが独立することに伴い、デンマークの勢力は後退してきます。
このころ三十年戦争、北方戦争でスウェーデンの勢力は拡大し続けます。
ところが大北方戦争にスウェーデンが敗れると、フィンランドは1713年にロシアによって制圧されてしまいます。
1721年のニスタット条約によりフィンランドはスウェーデンへ返還されますが、バルト海沿岸の多くのスウェーデン領が失われてしまいます。
ロシア皇帝アレクサンドル1世はティルジット条約においてナポレオンの対英大陸封鎖に参加する見返りとして、フィンランド領を要求してきます。
ついにロシア帝国はスウェーデンに宣戦布告をし、1809年にはフィンランドの全域を制圧します。
フィンランド大公となったアレクサンドル1世はフィンランドを立憲君主制の大公国とし、ロシアの手中に収めます。
その後の1871年に成立したドイツ帝国に世界が動揺し、対独戦争の準備のため強権化を進めたロシア帝国はフィンランド人の自治も剥奪していきます。
それに対し民族意識に目ざめたフィンランド人は、これに激しく抵抗します。
その甲斐もあってロシア皇帝ニコライ2世はフィンランドの自治権を再び認めることになります。
さらにフィンランド人は独立を目指し、ロシア革命にてフィンランドの独立を宣言します。
この際フィンランド内でも、ソビエト連邦への参加を求める労働者階級の赤軍と、白軍が素冷ましい内戦がおこります。
白軍はタンペレの決戦で勝利しますが、今度は王党派と共和派に分裂した攻め具合が繰り広げられます。
王党派はドイツ帝国に接近して王国の樹立を画策し、フリードリヒ・カールを国王に選出しフィンランド王国を成立させたのです。
しかしその後に起こったドイツ革命によってドイツ帝政が消滅すると、フィンランド国内でも総選挙で共和派と社民党が大勝し、フィンランドは共和国としてパリ講和会議で認知される運びとなったのです。
このように幾多の戦争に会い大国の間でもまれたフィンランドの歴史が、「軍事博物館」では紹介されています。

 ここで改めて「スオメンリンナ島」の役割を確認してみましょう。
フィンランドの歴史が物語るように、列国からの攻撃に応えるように「スオメンリンナ島」はヘルシンキを守る重要な軍事拠点として整備されました。
世界遺産に認定され自由に観光ができていますが、いまでもその管理下に置かれています。
島内には至る所に軍事施設が残されています。
特に19世紀後半に「クスターンミエッカ」にロシアが築いた大砲の数は壮大です。
海岸線には石を積んで造られた基地、そこから海に向かって設置されている砲台、地下に掘られた土塁やシェルターが、至る所にあります。
自国防衛とはいえ戦争以外の何物でもないことは確かです。
2度と使われることがないよう、祈るだけです。

   
     

 「スオメンリンナ島」で主要な2つの島を結ぶ橋の近くには、潜水艦が展示されています。
「潜水艦ヴェシッコ号 Sukellusvene Vesikko」で、20名ほどの乗務員が生活していました。
第2次世界大戦で任務に就いていた潜水艦で、内部を見学することができます。

 その橋の反対側を進むと、石のゲートで守られています。
ゲートを潜り中に入ると、そこには中央広場である「コートヤード」があります。
「スオメンリンナ島」の初代総督エーレンスヴァールドが1760年代に造ったもので、彼の墓もここにあります。
さらにここには「エーレンスヴァールド博物館 Ehrensvärdmuseo」があります。
エーレンスヴァールドの邸宅を利用した博物館です。
総督の優雅な暮らしぶりを知ることができます。
広場にある睨みつけるようなモニュメントが印象的です。

 「スオメンリンナ島」は、暗い話ばかりではありません。
島内には「ピ園」と呼ばれる緑で囲まれた公園があります。
芝生が敷かれ、その真ん中には別荘のような建物がポツンと建っています

 またそこから少し歩いたところには、砂浜も広がっています。
比較的丸い岩場に、少しばかりの砂が溜まっているといった表現が正しいかと思います。
ここでつかの間の休息をとったのでしょう。

 島の南端には、夏場だけ水上バスが停泊する港があります。
「キングスゲート」で、1754年に王の脛が錨をおろす場所として、スウェーデン要塞建設の一人者であるアドルフ・フレドリフ Adolf Fredrikが設計したものです。
船の来ないこの時期はひっそりとしています。
ただ岸壁の大砲が港を睨んでいるだけです。

 さてそろそろ暖かいものを口に入れたくなってきました。
立ち寄った島内のレストランで食事とします。
ビュッフェ形式の料理がありましたので、注文します。
「サーモンスープ」はサーモンの身がクリームの入ったスープと合い、絶品の味です。
ヘルシンキで何度か食べた「サーモンスープ」のうちでも、一番ではないでしょか。
そしてミートソースに定番のジャガイモです。
お腹はいっぱいで身体も温まって、今日も満足のいく食事となったのでした。

 

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