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[旅の日記]

オーデンセ Odense 

 本日は、デンマークが生んだ童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンを訪ねて、オーデンセを訪れてみます。
まずはシナモンロールとクロワッサンで力をつけます。
オーデンセはヘルシンキからデンマーク国鉄のインターシティに乗って2時間20分ほどのところにあります。
広軌道の路線はほとんど揺れを感じることなく、快適な電車の旅です。
車内も綺麗で、何ひとつ不自由はありません。

 オーデンセの駅に電車が到着します。
ホームには楽器を抱えた若者も、電車から降りてきました。
オーデンセはデンマーク第3の都市で、北欧神話のオーディンからその名が付きました。
また1654年から5年間、一時的にデンマークの首都があったところでもあります。
かつてはパリのエッフェル塔に次ぎ世界2番目の高さをもつオーディン塔 Odinstårnetがありましたが、デンマーク国内のナチスグループによって破壊されてしまいそれ以降は再建されることもありません。

 駅前通りを挟んだところに不思議な形をした銅像があります。
その奇抜さには、度肝を抜かれます。

 その後ろは芝生が敷き詰められた「王様公園 Kongens Have」が広がっています。
その中に「オーデンセ城」があります。
フレデリック4世が作った真っ白の建物です。
窓の奥には人が仕事をしている姿が確認でき、中に入ることは躊躇してしまいます。
後でわかったことですが、現在はオーデンセの市議会が使用していて公開はされていないようです。
アンデルセンの母親はオーデンセ城の洗濯女として働いていたことから、アンデルセンも仕事場に連れていかれ王子のころのフレデリック7世とは遊んでいたそうです。

 そしてその「オーデンセ城」があるのは、「聖ハンス修道院 Sankt Hans Kirke」の敷地の一角です。
「聖ハンス修道院」は1805年にアンデルセンが牧師の前にお披露目をした場所です。
その時のことを牧師は「猫のように叫び泣いていた」と記憶しています。
よほど印象的であったのでしょう。

 ここからは道路に記された足跡を目印に、街を回ります。
足跡に従って歩いて行けば、アンデルセンの主要な箇所に辿り着くのです。
ただデンマーク人の脚が長くて大きいのか、歩幅は異様に大きいのです。

 次の目的地は「アンデルセン博物館 H.C. Andersens Hus」です。
大通りから逸れて住宅街に入ってきました。
入口には「クネクネと歩いて行きなさい」と言わんばかりの標識が立っています。
面白いので前で写真を撮っていると、迷っていると思われたのか現地の人が指をさして行き先を教えてくれたのでした。
ちょうど駅前の再開発中で、「アンデルセン博物館」も建て替えの真っ最中です。
現在はホールの一角に博物館の展示を移して公開されています。
工事のフェンス沿いに住宅街を歩いて行くと、そこには小さくて色鮮やかな家が揃っています。
そんな可愛い家の中に「アンデルセンの生家」もあります。
ところが、入ろうとすると「アンデルセン博物館でチケットを買ってきてくれ」と言われたので、先に「アンデルセン博物館」に向かいます。
どう見ても2階が傾いている家なのに、柱を平行であるようにペイントしている家もあります。
見かけは正常のようですが、地震のある日本では許されないことでしょう。

 「アンデルセン博物館」では、関連する5施設の入場券がセットになって売られています。
それを購入してまずは博物館に入って行きます。
ここでは貧しかったアンデルセンの生活が、紹介されています。
トレードマークにもなっている旅行鞄と傘も、しっかりと展示されています。
また各国語で翻訳された絵本もあります。
彼の作った童話は多くの国の言語に訳され、感情豊かな彼の感性が世界中で指示されたことが判ります。
さらには切り紙が趣味であったアンデルセンが、作品を作りながら想像を拡げていった切り紙も展示されています。

 ここからは先ほど入れなかった「アンデルセンの生家」を、再び訪れます。
腕に巻いた入場証を見たおじさんは、今度は快く招き入れてくれました。
狭い家の中には、ベッドとタンス、そして作業用のテーブルが所狭しと置かれています。
テーブルの上には靴を造るための型が置かれています。
決して裕福ではなかったアンデルセンの最低限の生活が、読み取れます。
外に出てみると、マンホールにもアンデルセンの肖像画が模られています。

 「アンデルセンの生家」のあとは、1800年代の街並みが再現された一角である「ミュンターゴーエン Møntergården」に向かいます。
そこには博物館があり、古代から現在に至るまでのオーデンセの歴史が展示されています。
オーデンセがあるフュン島のことが、ここで理解できます。

 町を歩いていると、「救貧院」があります。
アンデルセンもオーデンセの最後の数年を「救貧院」の2階にある「貧民学校」に通い教育を受けていました。
通りに何気なく建っている建物で、現地の中学生の遠足だったのでしょうか、盛んにこの建物を気にしているようでしたのでその存在に気付いたのでした。

 さらに歩いて行くと、川があります。
洗濯女として働いていたアンデルセンの母親の洗い場がここです。
その様子は彼の著書「あの女はろくでなし」の中にも出てきます。
少年が酒の瓶をポケットに入れ仕事場に運んで行き、冷たい水に足を浸けて洗濯をしている合間に酒で身体を温める様子が描写されています。
いまではその洗濯場で、カモが楽しそうに泳いでします。

 川の流れに沿って歩いて行くと、アンデルセン像が建っています。
そして川の対岸を含めたこの辺りが「アンデルセン公園 Eventyrhaven, H. C. Andersen Paraden」となっています。
花壇があり、寒い時期なのに美しい花をつけています。
周りの寒さも忘れ、ゆっくりと公園を散歩します。

 公園をひとしきり歩いた後は街に出て、壁を黄色く塗られた「監獄」を眺めます。
アンデルセンの両親が「監獄」の門番と認識があったことから、彼もこの「監獄」を訪れたことがあります。
小説「O.T. 苦悩の烙印」では、監獄の残酷な様子が描かれています。

 さてここまで来たので、食事にします。
「スモーブロー Smørrebrød」は具だくさんのオープンサンドです。
そしてどこにでも登場するヒヨコ豆です。
食後のデザートにも、あり付くことができました。
イチゴがいっぱい乗ったケーキで、一切れでも日本のショートケーキの2~3個の大きさがあります。
極めつけはフォークを皿に添えるのではなく、ケーキに垂直に突き刺したことです。
大雑把で日本との文化の違いに、改めて驚かされたのでした。

     
     

 食後は「アンデルセン子供時代の家 H.C. Andersens Barndomshjem」を訪れます。
基本的な暮らしぶりは「アンデルセンの生家」と同じですが、こころもち広くなったのでしょうか。
裏口に続く花壇も心休まるひと時です。

 「アンデルセン子供時代の家」は、オーデンセ大聖堂である「聖クヌーズ修道院 Sankt Knuds Kirke」からほど近いところにあります。
アンデルセンは、ここで堅信礼を受けます。
この時の体験が「赤い靴」を描くことになったとされています。
訪れた時にはあいにく修復工事中で、大聖堂はシートの中です。
しかし大聖堂にはしっかり入ることができ、アンデルセンと同じ体験をすることができました。

 「聖クヌーズ修道院」の横には「オーデンセ市庁舎 Odense Rådhus」もあります。
どうやらこの辺りが、市の中心地のようです。
アンデルセンは便利の良いところに住んでいたようです。

 ここからは、オーデンセ駅に戻っていきます。
途中にあるのが病院です。
壁にレンガを積んだコの字型をした建物です。
アンデルセンの祖父が精神病で入ったのは、この病院なのです。

 こうして、オーデセンの町を巡ってきました。
実は町の至る所にアンデルセン童話の話に出てくるモニュメントが隠されています。
見つけたものの写真を一挙に公開しましょう。

   
     

 町を急いで回ったせいか、予定よりも少し時間に駅に戻ることができました。
変更可能の切符だったので1時間早い列車に変えようとしたのですが、一旦キャンセルして購入しなおさなければならないと。
事前購入のため半分以下で買った切符ですので、それでは早く買った意味がなくなります。
時間を潰すために、で駅の反対側にある「デンマーク鉄道博物館 Danmarks Jernbanemuseum」に寄ることにします。
ここには歴代の車両が保存されています。
外には転車台もあり、ずっと見ていたいぐらいです。
16:00に閉館であることを知らずに館内を見て回っていると、係員が探しに来て閉館を告げられたのでした。
一旦閉めた扉を開けてもらい、渋々外に出たのでした。

   

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