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旅の写真館(1)ヘプはドイツ国境線まで数kmのところにあるチェコの町です。
ヘプ駅の改札を出てまっすぐ進みます。
しばらく歩くと、やがてイジホ・ズ・ポデェブラド王広場が広がります。
訪れたのは土曜日の朝で、服や小物を売る屋台が所狭しと並んでいました。
私もひょっと品定め。
これといったものがある訳でもないのですが、ぶらぶら見て廻ってヘプの街に馴染んでいきました。
細長いイジホ・ズ・ポデェブラド王広場は、両脇に色とりどりの建物が並び、その行き当たりにはおもちゃの家を想わせるようなシュバーチェクがあります。
写真では左端の2件の建物がそれです。
13世紀に建てられたものですが、16世紀にはユダヤ人の商店になっていました。
イジホ・ズ・ポデェブラド王広場を眺めながら向かったのが、ヘプ城です。
地図では広場から程遠くないところのはずなのですが、道が入り組んでおりおまけに観光気のないひっそりとした城なので、なかなか見つけにくいものでした。
城の入り口に面する道には、周りの家々が洗濯物を干しているくらいですから。
迷っていたのは私だけではなく、道を歩いているとドイツ人の年配の観光客に突然「アイネン、フラッド?」と聞かれたのです。
直訳すれば「お城は?」なのですが、よくよく考えてみるとアイネンはドイツ語、フラッドはチェコ語なのですね。
答える方の私は「イエス」がのどまで出ていたのですが、いや待てよ、「ヤー」なのか「アノー」かなと考えた末に、衝動的にでたのはいつもながらの身振り手振りでした。
ヘプ城の受付で切符を売っていたおばさんからは、どう見ても東洋人の私にドイツ語で「1枚ですか?」と聞かれました。
どうやらドイツに近いこの街では、外人観光客というとドイツ語を使うのが慣例となっているのでしょうか。
入り口では1枚ものの各国語のガイドを貸してもらえます。
だめはもともとで「ヤパンスキー(日本語)」と言えば、しばらく探した後で「中国語でもいいか」と言って一面漢字のガイドを持ってこられました。
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いくらなんでもこれでは読めないので、仕方なく英語版を受け取ったのでした。
ヘプ城自体は今は城壁の一部と礼拝堂、黒塔などが残っているだけで、狭い廃墟のようなところです。
先ずは国塔に登り、ヘプの街を眺めることにします。
赤い屋根で飾られた町並みの、ところどころに高い建物が見えます。
いずれも修道院や教会の屋根です。
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ヘプ城を眺めておなかがすいてきたので、再び広場に戻りレストランを探すことにしました。
どのレストランも、店の前のパラソルを並べています。
黒塔のほかにも、礼拝堂や展示館を見て廻ることができます。
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ところが英語メニューを置いている店が、なかなか見つからないのです。
仕方なく入った店で、メニューを見ながら知っている単語はないかと、しばらく沈黙。
とりあえず「ピボー」(ビール)と叫び、ビールを持ってくるまでの時間稼ぎをしました。
書いてあるのはチェコ語とドイツ語。
ドイツ語のFischはどう見ても魚のFishだろうと、値段を見ながらわけもわからず注文しました。
これが意外と大当たりで、魚の少ないチェコで久しぶりにおいしい白身魚に巡り会えることができました。
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さてこのイジホ・ズ・ポデェブラド王広場の家々の並びの中央に、時計のかかった建物があります。
ここが新市庁舎になります。
そして、その横ではちょうど結婚式が終わって、新郎新婦が祝福されながら出てきました。
食事をしながら、人々の動きを面白く眺めることができました。
せっかくヘプに来たのだからと、シュバリーチェク奥の博物館に行ってみることにします。
宗教戦争のこの辺りの様子が、見て取れます。
博物館の中は私以外人影がなく、私の動きに合わせて博物館の女性が少し後ろについてきます。
見張りでしょう。
おかげで、ヘプの街のことを聞くことができました。
出口近くになるとおばさんの館員に代わりちょっとがっかりでしたが、色々と世間話をしてしまいました。
博物館の後は、この裏にある大きな教会の聖ミクラーシュ教会を訪れました。
そしてドミニカン修道院、少し離れて聖マリア教会とエヴァンゲリモ教会を順に見て廻りました。
ヘプは人口3万人の小さな町、そのなかのここ中心街は2時間あれば見て廻れるところです。
今日はゆっくりと見て廻ったのですが、それでも4時間もすれば時間をもてあますほどです。
予定していた列車より1時間早い列車に乗って帰ることにしました。
ドイツからのIC(国際列車)で、数十Kcのわずかな追加料金は必要でしたが、国際列車だけあってきれいな車内で快適に帰途に着くことができました。