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[旅の日記]

ウィーン Wien 

 国際列車でウィーン東駅に到着したのは、午後1時。
ウィーンの町並みはきれいで、観光用とはいえ馬車のひずめが石畳を蹴る音が軽やかに響き渡ります。
先ずは24時間フリー切符を買い込んで、これで気兼ねなく乗り物を乗り降りすることにします。
最初に向かったのがインフォメーション。
ここで今晩の宿を確保します。
続けてコンサートの予約も。
せっかく「音楽の都」に来たのですから、いくらクラシック音楽に興味のない私でも、ホテルで飲んでいるのはもったいなく思えたのです。

 これで準備も整いました。
軽く腹ごしらえした後は、地下鉄に乗り込みます。
向かった先は、シェーンブルン宮殿です。
女帝マリア・テレジアの権力の象徴とでもいえる壮大な建物は、パリのベルサイユ宮殿を思い起こさせるようなものです。
16人の子供を権力拡大のための政略結婚に送り込みなど、豪華さの裏の苦悩に満ちた当時の「常識」に、心が痛みます。
建物にもまして立派なのは、その広い庭です。
庭の向こうの小高い丘には、グロリエッテがそびえ立っていました。

 夕食は仔牛肉にころもをつけてトンカツ風に揚げた郷土料理を、オーストリアビールとともに、味わいました。
これから行かなければならないコンサートで眠らない程度に・・・

 さて今晩最後のイベントは、クラシックコンサートです。
実は訪れた7月は、オペラやコンサートにとってはオフシーズン。
そんな中で、楽友協会ホールで中世の風貌に身を固めたモーツアルトのコンサートを見つけたのでした。
クラシックに詳しくない渡しでも、これなら楽しめそうです。
モーツアルトコンサートはオペラのように正装する必要もなく、気取らずに時間を過ごすことができました。
聞いたことのある曲もあり、あっという間の2時間でした。

 2日目は、朝から市内観光です。
といっても見所は歩ける範囲に固まっています。
実は昨日は市内をトラムで廻っていたので、大方の位置関係も把握できていたのです。
モーツアルトの生家を朝一番に訪れます。
1784年から1787年まで住んだには、この建物の2階部分です。
彼がウィーンで過ごした十数件の住居のうち、現存するはここだけのなのです。
なかには、4つの部屋、2つの小部屋と、キッチンからなるなかなか豪華なものです。

 そして、その先のシュテファン教会へ。
教会ではちょうどミサが行われていました。
外観の刺々しいゴシック様式とは違い、内部の祭壇はバロック様式でまとめられています。
静かに入って、言葉もわからないままに神父さんのお話を聞いていたのでした。
そこから少し歩けば王宮の入り口です。
カーブを描いた建物は、一目見れば忘れられない特徴のあるものです。
王宮を突き抜けて歩いていくと、観光用の馬車が止っており、これがウィーンの景色によくマッチしています。
王宮の内部も見学できるのですが、今回はそれほど時間の余裕もなく、博物館に足を急ぎます。

 王宮を超えるとそこにはマリア・テレサの像がそびえ立ち、その左右に対称な形の建物があります。
向かって左が美術史博物館、右が自然史博物館です。
今回は美術史博物館に入り、数々の絵画の鑑賞することにしました。

 ヨーロッパ全土を手中に入れたハプスブルク家です。
美術史博物館にはそのハプスブルク家が持つコレクションが、一堂に展示されています。
館内はどんなに急いで回っても、ゆうに2時間はかかります。
昼食までの間、美術鑑賞に浸ることにしました。

 一通り観終えたときには、時刻も12時を過ぎていました。
ここからはトラムに乗り、車窓のウィーンを楽しみます。
トラムの座席は木でできており、優しい落ち着いた車内です。
トラムは適度な速度で進み、ウィーンの街をぐるりと1周してくれます。
座っているだけで次々と景色が変わり、思った以上の楽な観光です。

 こうして2日をかけて回ったウィーンですが、まだまだ見飽き足りません。
未練を残しつつも、ウィーンの街を後に帰路につくのでした。

     
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