[旅の日記]
アユタヤー遺跡 อยุธยา

バンコクから車で2時間ほどのところに、旧アユタヤー王国の地「アユタヤー」があります。
今日はそのアユタヤを巡ってみることにします。
ラーマーティボーディー1世(ウートーン王)によって1350年に建都されました。
タイ族によるアユタヤ王朝の始まりです。
チャオプラヤー川とその支流に囲まれ水運に恵まれ、ヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。
中央集権制度、国際貿易振興といった政策は、その後のバンコク王朝にも受け継がれていきます。
1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまで、この地はタイの中心であり続けました。
その時の仏塔や王の離宮がいまも残されており、栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の街です。

そんな中でます目につくのが、ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピットです。
立派な建物の中に金色に輝く仏像が安置されている寺です。
ここアユタヤー王宮は象に乗りながら市内観光が楽しめます。
早速、象乗り場に向かってみることにします。
500バーツと言う値段はタイにしてみればすごく高い値段ですが、タクシー代わりに象に乗るとなれば日本ではできない経験ですのでそこは太っ腹、頼んでしまいました。
象に乗りながらワット・プラ・シー・サンペットの前をしばらくお散歩。
ところが乗ってみてびっくり。意外と揺れるのです。
象が足を踏み込むたびに、座席が右に左にゆらゆらと。
初乗象の身にとっては、座席にしがみついていないといけません。
20分の旅はとても長く感じました。
アヤタヤーといえば、この寺院の風景が一番有名なのではないでしょうか。
散歩は終わって、改めて自分の足で歩いて、先ほどのワット・プラ・シー・サンペットへ。
ここは3基のセイロン様式の塔に、それぞれ3人の王の遺骨が納められているところです。
夜にはライトアップされて一段ときれいになるとのことでしたが、それは次の機会に残しておきましょう。
もっともビルマに侵略されたときにすべてが破壊され、今は崩れ落ちた寺院の跡を見るにとどまりますが。
次に訪れたのは、ワット・ロカヤスタです。
全長28mの釈迦の像が横になっているから驚き。
バンコクのワット・ポーにも寝転がった仏像があるのですが、こちらは炎天下の下での昼寝状態。
もっとも、身体には手厚く高貴の印である黄色の布がかけられていました。
奥の寺院では信仰厚いタイの人々が、お金を払って仏像に肩から布を掛けてもらっていました。
一度に数十反の布(つまり数十人分です)を僧侶が投げて、すべての布を羽織り終わると一斉にお参りをするといったことが、約10分おきに繰り返されていました。
さらには、ワット・プラ・マハタートを訪ねました。
ここはワット・ラーチャプラナとともに広い公園になっていて、ここもまた崩れ落ちた寺院跡です。
先ほどのワット・プラ・シー・サンプット同様、その昔ビルマ軍によって崩されてしまったのですが、唯一仏頭が木の根に取り囲まれながら残っているのは、なんとも神秘的でした。
ここから車で走ったところに、に日本人町跡があります。
アユタヤー王は、海外貿易を盛んにするために、外国人にも居住地をあたえました。
こうしてできたのが、日本人町だったのです。
山田長政もこの地に留まり地方長官にまで上りつめますが、毒殺されてしまったところです。
最後は、バンパイン宮殿です。
チャオプラヤ川の中州に建つ宮殿で、アユタヤー王朝の歴代の王が毎夏を過ごした離宮です。
中国風建築の他にも、タイ風様式の建物が敷地内には点在しています。
数バーツを支払えば、電気自動車を借りて走り回ることができたのでした。
朝から遊びつかれて、バンコクまでの帰路が日も暮れだし、道路沿いの川に浮かぶドライブイン(?)で食事をしたのでした。
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