[旅の日記]
淡水 淡水 
本日は台北の北 淡水を訪れます。
風光明媚な土地として知られ、「東方のベニス」とも呼ばれているところです。
台北からは地下鉄MRTに乗れば、40分余りで行くことができます。
台湾の交通系カードである悠遊カードに、いくらかのチャージした金額が残っているので、これを利用して乗車します。
北に進むにつれてビルは少なくなり、その途中にはPCやスマホで有名なASUSの工場も見えます。
MRT淡水信義線の終着駅である淡水駅は、大きく広々とした駅舎です。
駅前では道路が交差し、車がひっきりなしに通っています。
ビルが並びネオンサインがきらめいている賑やかなところです。
駅ターミナルの横には広場があり「淡水老街広場」と書かれています。
ここから先が「淡水老街」のようです。
広場には、昔使われていたかわいらしい蒸気機関車も展示されています。
今日は動き出すのが遅かったので、着いたばかりなのにここで昼食にします。
新たしそうなレストランがありますので、入ってみます。
昼食なので多くは要らなく軽いメニューを探していると、台湾の麺を食べていないことに気が付きました。
ここで注文したのは牛肉の入った牛肉麺である番茄腱心牛肉麺です。
そして優しめの鶏肉を使った麺の雪菜肉絲麺です。
高めの店に入ったからか、牛肉麺の肉は分厚くとろとろに柔らかさです。
一方の鶏肉麺は、薄く味付けられたスープがいくらでも飲めます。
食事を終えて、ここが「淡水老街」の起点ですが、あえて海側に移り岸壁の歩道である「環河道路」を歩きます。
岸壁には「金色水岸」の文字が見えます。
ここから見える夕陽が美しいと絶賛されていますが、夕方まで待つことはできません。
海を眺めてその光景を想像します。
さらに北方向に歩いて行くと、そこには「淡水古蹟」があります。
ここでは淡水の歴史や見どころ、日本との協力関係が紹介されています。
さらに歩いて行きましょう。
堤防で囲まれた小さな区画があります。
「淡水第1漁港」と書かれており、海に浮かぶ台湾で海の幸を陸揚げする港のひとつです。
朝早く来れば、漁から帰ってきた船で賑やかになったことでしょう。
そこから先は、進行方向左側にフェリーターミナルが続きます。
どこから来るのかを考えるだけでワクワクします。
右側を見ると乗船客や観光客を迎える店が並びます。
観光客というよりも台湾人がいっぱいで、少し足を延ばして淡水に遊びに来たというイメージです。
フェリーターミナルが切れたところに、小船とその横にたたずむ西洋人の像があります。
船の上には本も置かれています。
説明があるのですが、中国語でよく判りません。
ひょっとするとこの先訪れようとしている「紅毛城」に関係してるのかもしれません。
その先には「漁人碼頭(ユーレンマァトウ)」が続きます。
船が着岸できるように、ローブをくくりつけるための杭が立っています。
通路は海を見ながら散策するための、よい散策路になっています。
夏には海からの心地よい風が吹くことでしょう。
海から1筋陸側に移ると、丘の上に赤い建物が見えます。
入場料を払い、敷地内に入ってみます。
階段を登り切ったところにあるのが「紅毛城(ホンマオチョン)」です。
ここには台湾が大国にしは入れていく歴史が刻まれています。
台湾北部を拠点としていたスペイン人により、1628年に城が建設されました。
「サント・ドミンゴ城」と呼ばれ、これが今日の「紅毛城」の前身となります。
スペインの勢力が撤退した後は、オランダ人が1646年に「アントニー要塞(安東尼堡)」として再建します。
オランダ人のことをを「紅毛」と呼んでいたことより、現地ではこの城を「紅毛城」と称していました。
さらには1867年にイギリス政府に租借され、イギリス政府がここで領事館の業務を開始します。
これは1980年に中華民国政府に所有権が移管されるまで続きました。
「紅毛城」は台湾に現存する最古の建築物であり、大切に保存されている内部が公開されています.
敷地内には2つの赤壁の建物があり、奥の建物にも当時の調度品が残っています。
さて次に訪れるのは「小白宮(シャオバイゴン)」です。
「紅毛城」からは細い歩道を通っていきます。
急な上り坂で、息が切れます。
1862年に淡水が正式に開港したことから、税務司公署が設置されます。
1866年には税務司官邸がここに建設された。
官邸の建築はスペインの回廊式風格で、建物の前に広い庭園を有しています。
建築には白灰を塗っていたことから、「小白宮」と呼ばれています。

さらに道を進んでいくと、「多田榮吉故居(タダエイキチコキョ)」があります。
日本統治時代に、第4代の淡水街長を務めた多田栄吉氏が1934年に建設した日本式の住居です。
神戸の大地主の家に生まれた榮吉は1897年に台湾に渡りし、淡水で多くの公益社会活動をした人物として有名です。
日本の家屋で、玄関で靴を脱ぎ中は畳張りのスタイルです。
床間からは庭が見え、まさに日本の文化をそっくりそのまま台湾に持ち込んだものです。
台湾で最も早く水道を引いた住宅のひとつとされている、貴重なものです。
いまや日本でも畳すらない家が多い中、ここに座るとなにかホッとします。
それでは、その先を進みましょう。
バス通りを越えていくと教会の建物があります。
「臺灣基督長老教會 淡水教會」で、その横には「滬尾偕医館」があります。
北台湾最初の西洋医学の病院です。
淡水にやってきた馬偕博士は家を借りて「滬尾医館」を始めます。
1879年には土地を購入して、新しい病院を建設します。
自分の亡き夫マッケイ船長に対してアメリカの婦人からの寄付のあって、「滬尾偕医館」を開業します。
高い医療水準をもち、医師を招聘して診察を行うスタイルを取り入れるとともに、カルテによる病歴管理を行いました。
建築は馬偕博士が自ら設計したということですから、これにも驚きます。
家屋は閩南(びんなん)式住宅、窓と扉は西洋式のアーチ型をもつ中華と西洋が融合した建物です。
現在の「馬偕記念病院」の前身です。
この先は「淡水老街」にメイン通りに合流します。
ここで行列のできる台湾カステラの店があります。
せっかく来たので、カステラを買って帰るために列に並びます。
売り場をぐるりと取り囲む列なので、焼きあがったカステラを切る様子を見ることができません。
並んでいても面白くで、飽きさせません。
130元のほくほくのカステラを箱にいっぱい詰めてもらいます。
これを海辺のベンチで味わうことにします。
量の割には生地も味も軽くて、箱一面のカステラも見る見るうちに減っていきます。
一通り腹を満たしたうえで、次の場所に移動します。
次に訪れたのは、「淡水福佑宮(フクユウグウ)」は、先ほど並んだカステラ屋の道向かいです。
1796年に建てられ媽祖様のご利益で知られるため、「淡水媽祖廟」と呼ばれることもあります。
歴史ある門は修復工事中で幕が掛かっています。
危うく見逃すところでしたが、脇にある入り口から中に入ることができそうです。
門の姿は幕に書かれた絵で確認することができます。
中に入ると、日本の寺院とは違い赤と金で彩られた寺は華やかです。
神妙な面持ちで、人々がお詣りしていました。
こうして過ごした十分も、あとは駅に向かって電車で帰るだけです。
その時後ろの方から、大きな音と煙が上がります。
「淡水老街」の通りで、誰かが爆竹を鳴らしたみたいです。
その破裂音は1~2分続き、台湾の良い思い出となったのでした。
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