[旅の日記]
万里の長城と頤和園 八达岭长城和颐和园

中国と言えば「万里の長城」でしょう。
一度は見たいと思っていた長城です。
ということで、今回は「万里の長城」を訪れてみます。
「万里の長城」の中でも「八達嶺長城」は北京からは車で2~3時間のところ、山の斜面にへばりつくようにして「万里の長城」は建てられていました。
中国国旗がひらめいている所があります。
ここが長城への入口です。
料金を払い、中に入っていきます。
「万里の長城」は紀元前に他国からの侵略を阻止するために作られた防護壁ですが、切れ切れだった長城を秦の時代につなぎ合わせて今のような全長6000kmの巨大な建造物になったとものです。
防護壁と言っても「長城」の名が示すように、上は道になっており立派な建物です。
よくこの山奥までこれだけの石を運んできたものだ。これが正直な感想です。
一大支配者が君臨していた中国の歴史が、手にとって判るようです。
長城の上を歩いてみますが、山の急斜面に沿って造られたところなので、これがで予想以上にきついのです。
所々に要塞としての見張小屋があり、歩くための目標になります。
長城入口ではあれだけいた人混みも、この辺りではめっきり減ってしまいました。
もう次の上りを終えると、引き返すことにしましょう。

夏の暑い時期には朝のうちに万里の長城をあとにして、次は「明の十三陵」へ。
南京から北京に都を移したときの13人の皇帝が、この地で眠っています。
そのうちの2陵を、今回訪れることにしました。
長城は、中国らしく贅沢なたたずまいのお墓です。
それに対照的なのが定陵でした。
明の3代皇帝永楽帝が眠っています。
ここは敵から見つからないようにと、地下に巨大なお墓を作ったのです。
地上からは建物の存在すら判らないように隠されており、とても皇帝の墓とは気付きません
しかし地下に潜ると、そこには壮大な空間が広がっています。
歴代の皇帝はその威信にかけて壮大な墓を造り、秘密裏にその計画は進められます。
そして完成の時には、口封じのために建築に携わった者もろとも地下に閉じ込めらて殺されたと言われますから、恐ろしいものです。
さて本来ならこれで1日が終わるはずですが、それは強行スケジュールの私のことですから、これで終わる訳がありません。
これからもうひとつ「頤和園」を訪れることにします。
ここは清の時代の離宮で、いわゆる皇帝の別荘です。
「普通の庶民のような生活を体験してみたい」という皇帝のわがままから、離宮の中に街を築き商人を住まわせたのです。
今は観光客のみやげものやになっていますが、堀を囲んで多くの店が営まれています。
そして小高い丘の上にそびえたつ3階建ての仏香閣からは、昆明湖を望むことができます。
そしてこの湖がまた大きいのです。
とても離宮のために作った人工の湖とは思えないほどの広大なものです。
頤和園に至っては、時間の関係で半分ぐらいしか見て廻ることができませんでした。
夕方となり北京に戻ることにしました。
ホテルの窓からは、少し離れたところに高層のビル郡が見えます。
しかしその手前の街の風景は、必ずしも綺麗なものではありません。
訪れた時期の印象は、またまだ混迷する中国経済を浮き彫りにしているようです。
この写真もホテルで撮ったものです。
中国に入ってきた外国商品のネーミングには面白いものがあります。
青島ビールは中国のものですが、アサヒビールはそのまま中国語に翻訳されています。
一方スプライトはそのイメージ通りの漢字を当て、コカ・コーラに至っては同じ読みになるような当て字です。
その他ではコンビニで買ったホットドッグは熱犬など、笑ってしまいました。
発達過渡期で海外経済を獰猛に取り入れようとしている中国といったところでしょうか。
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